2004/11/7
今日向かったのは神奈川県の北部に位置する愛川町の三増(みませ)と半原です。三増には三増峠というのがあり、そこは古戦場跡地としていくらか有名です。
戦国時代に武田信玄が小田原場を拠点をとする北条氏康・氏政を攻めた後、帰国する際にこの地を通ります。そこで、北条氏照・氏邦らは帰国を阻止しようと、武田軍を攻めます。また、小田原城に立てこもっていた北条氏政も城から出て追いかけ、挟み撃ちにしようと意図しますが、武田信玄の機転と部下達の優秀さが勝り、北条軍は逆に撃破されてまいます。詳細については述べませんが、実は結構戦術的にも面白い戦です。
さて、まずは厚木を抜け、愛川、半原方面に向かいます。

道中は日曜日のためか、宮ヶ瀬方面に向かう車が結構多いようです。

愛川に入ってから、農園案内図なるものを見つけ、そこに戦場跡のマークがありましたので、これを参考にして、目的地を目指しました。
しばらくすると、目的の通りに出ました。すると何やら人ごみが見えてきました。どうやら観光バスのようですが・・・

すると、なんとその場所こそが三増峠の戦場跡地でした。観光スポットになっているとは思いませんでした。

古戦場跡といっても別に特別なものはありません。色々な碑や看板がある程度です。

合戦陣立図がありましたが、この図はいまいちわかりにくいです。三増峠の戦いについては事前の知識がいくらかありましたが、それでもこの図はわかりにくかったです。現地ではこの図をつかってガイドさんらしき人が観光客に説明してました。

この戦場跡を離れさらに進みます。ちなみにこの戦場跡に向かう道は”三増合戦みち”だそうです^^;)

しばらくすると分かれ道に出ました。その分岐点には、よく見るとなにやら看板があります。合戦時の首塚でした。

分かれ道を山奥方面に進みました。この奥には”信玄旗立松”があるそうですが・・・・

しばらくすると、色々看板が見えてきました。でも、この先はどうやらゴルフ場のようです。でもせっかく山道を上がってきたので、ゴルフ場の中に入ろうとすると、車に乗ったおばさんに呼び止められました。”ここから先はゴルフ場だよ!”と言われましたので、”旗立へ行きたいのですが・・・”と言うと、目的地はやっぱりゴルフ場内だと説明されました。今日は曇ってるから何も見えないと言われたので、それ以上は何も言えず、仕方なくあきらめました。でも、観光スポットがゴルフ場内に存在するとは・・・残念。


元来た道を引き返し三増合戦みちをさらに下ります。

しばらくすると、中津川にでます。この川は水色に濁っていて、絵の具をたらしたような色でした。川辺では、釣りやバーベキューを楽しんでいる人が結構いました。

半原の町に入ると、道路沿いに中津川の濁った水色をした用水路(?)がありました。なかなか風情があります。

しばらく進むと、ハイカーらしいおばさん二人組みを見かけましたが、この辺りは散歩にはもってこいです。さらに進むと半原神社を見つけ、中に入りました。やや大きめの神社ですが特に特徴のある神社ではないようでした。

途中までは、先来た道を紅葉を見ながら軽快に下り、引き返します。

馬渡坂という急な坂を上り、次の目的地、郷土資料館を目指します。

途中、山道に入ってしまい迷いましたが、とても気持ちのいいところでした。ただ時間があまりなく、郷土資料館が閉まってしまうのが心配だったので、先を急ぎました。

愛川町の郷土資料館を探しますが、なかなか見つかりません。途中、道を歩いていたおばさんに尋ねました。どうやらこの先の小学校の近くならしいのですが・・・・見つかりません。私が探しながらウロウロしていると、さっき道を尋ねたおばさんが追いついてきて、ここだよっと、平屋の建物を指差しました^^;)。どうやら小学校の敷地内にあるようです。

入り口は裏側に回らないと見えないところにありました。受付にはおじいさんがいて、”見学できますか?”と尋ねると大丈夫だと言われました。するとそのおじいさんは各展示場の電気をつけに行きました。私以外は見学者はいないようです。

受付で観覧者名簿に記入を済ませると、中へ・・・。資料館の中には、戦時中の道具を中心に展示してありました。

どうらやら、この建物は古い校舎を利用している感じです。右の写真は昔の織物工場の織機だそうです。

資料館を最後に帰宅の途につきましたが、途中宮ヶ瀬方面からの車で大渋滞でした。でも自転車はスイスイ進み、いくらか優越感を感じながら家に帰りました。
今回のツーリングは本当に久しぶりだったのですごく疲れました。短時間のツーリングにもかかわらず、掌やお尻も痛くなりました。
宮ヶ瀬ダムに続いて、愛川町は今回が2回目のツーリングでしたが、またぜひ訪れたいところです。